1.「日本のグローバル化が進む」とは
難しく考える必要はありません。
東京の街角に、溢れんばかりの外国人が往来していますね。
そして、パリの街角で、日本人を見かけないことはありません。
これが「ヒトのグローバル化」という意味です。
私が若いころのハンガリーのブタペストの街角で「日本人を発見」するのは至難でした。
チェコのプラハでも皆無に近かったです。
ましてやワルシャワもモスクワも、グローバルとは程遠い世界でした。
でも、久しぶりにこれらの街に行ってみると、プラハの中心広場のフス像の周囲に、世界中から集まった若者たちがギターを片手に唄っているのです。
この風景は、まさにグローバル化した世界です。
30余年前、私がプラハに行ったときは、この時計台の広場は、旧ソ連の戦車で固められていたのです。
「自由を求める学生デモ」を抑えるためです。
日本はこうなったらいけません。
こうならないように努力しないといけません。
モノやカネのグローバル化は、すでに私たちの日常生活に根づいていますから、今さら言うまでもないでしょう。
海外に出ていく人、海外から来る人が増えると、どんな能力や技術が要求されるでしょうか。
グローバル化の典型はIT機器です。
パソコンなど、デジタル機器なしでは生活が成立しない時代ですからね。いつまでも翻訳機能を頼りにしている時代ではないのです。
ヒトのグローバル化以上に進んでいますね。
共通言語として「英語の学習が必須」になっているのはよくわかりますね。
日本語が世界共通語になれたらいいのですが、「日本語は世界の地方語」から抜け出すことは、当分の間、無理でしょう。
2.「思考力」「判断力」「表現力」とは?
では、文部科学省がこれからの時代に必要な能力といっている「思考力」「判断力」「表現力」を、わかりやすく読み替えてみましょう。
私たちはこれから、いろいろな民族・伝統を持つ人とコミュニケーションを結びながら生活して行かなくてはなりません。
「日本は島国だ」なんていっていられません。
ビジネスを始め、個人旅行でも、海外とつながるのは「海から空の時代」へと転換しているのはみなさんが承知している通りです。
私たちは、異なる人々の声をしっかり聞く力をマスターし、相手が言うことを正しく理解する力をつけなければならないのです。
しかし、いろいろなことを「理解」しても、それを自分の言葉で「表現」する力がなくては先に進むことができません。
背景を理解し、相手が言わんとすることを「判断」して論理的にこちらから話すこと、記述する力が必要であるということです。
これをマスターしなければならないということですね。
私も、たびたび海外に出て、多様な経験をしてきました。
また孫たちは、イギリスと日本の二重国籍ですから、こうした能力の必要性は日常レベルで理解しています。
「イギリスが、EUを離脱したら、ヨーロッパ諸国を自由に旅行できなくなってしまう」と息子は嘆いていますが、さてどうなるでしょうか。
彼らの日常会話は極めて論理的で「なぜなの?」「どうして?」「ではどうするの?」の繰り返しです。
感嘆詞は、まるでないです。(笑)
私は、静岡県教育委員会で「確かな学力育成委員」をやっていました。
東大総長で、元文部大臣の有馬先生が座長の公式の会でした。
そんなこともあったので、最近文科省が発表している「学力の3要素」を図式化してみました。(図)
図を見てください。
「思考力」「判断力」「表現力」の上に、これから社会のリーダーになろうとする人は、主体性とか多様性とか協働性が要求されるのですね。
これも難しいことではありません。
知識を「運用する能力」が必要だといっているだけです。
覚えるだけ・豊富な知識を持つだけではだめ。
多様な知識を組み立てて、自分で考え、仲間と一緒に仕事をすることができる力が大切だということです。
私は、日々その実践者です。
そんな能力を。“大学入試でも問いますよ“というのが「新テスト」の主旨です。
いや、すでに、中高一貫校の入試・私立大学個別試験で出題されていますね。
昨年は、大学入試センター試験でもはっきり出題されています。
この傾向は強くなるでしょう。
すでに、鉢巻きをして「合格!」を叫ぶ時代ではないのです。
LEADESTでは、そんなことをしっかり理解して指導すると前川教室長が言っています。
私も、教室長や講師たちの支援をします。
質問がある人は、遠慮なく教室長や講師にいってください。
私のキャリアが通じる限り対応します。
FACEBOOKなどでの読者の中には、私の知人も沢山いることでしょう。
みなさんも遠慮はいりません。
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