アンガーの時代とオリンピック モハメドアリからネイマールまで ~Message~

 

リオオリンピックが終わりましたね。

リオから東京へ。閉会式のセレモニーは素晴らしかった。

さて、この機会に、いろいろな角度から整理してみましょう

 

どうも「世の中全体が落ち着きを失っている」のではないか。

 

異常気象で台風が襲ったり、地震が発生したり、洪水が起こったりするだけでなく、

世界の政治も日本の経済も、どこかに「ひずみ」がうまれているんじゃないか。

 

戦争勃発の危機があちこちで充満している。

個人の生活も「ストレス」「うつ」「トラブル」・・・が流行し、まさに世は「アンガー(怒り)の時代」です。

 

 

(1) 異常気象で夏期オリンピックを開催できる地域が限られる?

 

こんな恐ろしい調査・分析結果がイギリスの医学雑誌ランセットに発表されて評判になっています。

 

熱中症のリスクなどが高まり、マラソンなどの競技が実施できなくなるというのです。

東京五輪の開催は7月。猛暑の中ですね。「怖い」です!

 

2085年には、いろいろな開催条件を組み合わせると、アジアでいえば、キルギスとモンゴルの首都2か所だけになるというのです。

 

だから、「東京がアジア開催のラストになる」というコメントさえ出てきます。

地球規模でアンガ―が広がっている。

困ったことです。

 

海面の上昇で、カリブ海のツバル、ソロモン諸島のキリバスなど島全体が消えてしまいそうです。

温暖化で氷河が溶けていることは、誰もが知っていますね。

 

リオ・オリンピックは「環境と人間生活」を深刻に問題提起しましたね。

 

受験生にとっても、今年の受験では、どこかの大学で「オリンピックと環境汚染」を絡めて出題されると思いますから、下調べをしっかりしておいてください。

 

 

(2) 五輪サッカーでのブラジル優勝が暴動を防いだ!?

 

リオ・オリンピックは、ブラジルという「国家の矛盾」を世界中に知らせる契機となりました。

 

この国・この都市でオリンピックを開催することが決まった時、資源が豊富なこの国の「繁栄」は永遠で、世界中が眩しく受け止めていたはずです。

 

しかし、現実は「貧富の差」が激しく、生活環境はオリンピックを開催するレベルではなかったのですね。

表面的な繁栄の陰に、深刻な経済・政治・社会問題が存在していたのです。

リオの中心市街の裏に、スラム街が広がり、治安が乱れていた。

 

だから、サッカーのW杯・五輪開催に「反対する人々」の活動が収まらず、女子マラソンのゴール近くでプラカードを持った人が飛び出してくる事件まで起こりました。

 

深刻な環境問題は、一夜にしてプールの水が「ブルーからグリーン」に変色してしまったことで、十分に理解できることでした。

 

そして、サッカー王国で、もし「ネイマールを要するナショナルチーム」が敗れたらどうなっていたでしょうか。

 

私の考えでは、ストレス性の暴動が起こり、オリンピック開催の「意義と価値」を根底から否定するうねりが収まらなかったでしょう。

 

まさに「貧しい人々のアンガ―」が、国家を突きあげ、この国の歴史を動かすマイナス・エネルギーになったと思います。

 

それは「世界は一つの時代」にあって、一気に、スポーツから政治・経済を動かすマグマが爆発に連なり、世界に拡大していっただろうと、「恐怖のイメージ」を持ったのは、私だけではないと思います。

 

「アンガ―は歴史を動かし、社会の体制を変革するエネルギー」であることを、若者の眼でしっかり受け止めてください。

 

これが歴史を学ぶ意義でもあります。

 

フランス市民革命はその典型ですね。

そのシンボルワードが「自由」「平等」「博愛」ですね。

 

アンガ―が「行動」を呼び起こした成果です。

言葉遊びではありません。

 

 

(3)オリンピックで、忘れられないことは「モハメド・アリ氏」

 

リオ・オリンピックで、日本はかってないメダルラッシュでした。

 

私は、メダリストと選手たちの健闘を祝すと同時に、「メダリストの今後の人生」を思います。

 

受験生のみなさんには、「栄えある合格」を勝ち取って欲しい。

しかし、大切なものは、人生の「トータルの栄光」であることを、この際、しっかり考えて欲しいということです。

 

こんな時に、私は先日亡くなったモハメド・アリ氏のことを思い出します。

 

彼は、ローマオリンピックで「ボクシングのゴールドメダリスト」でした。

オリンピックチャンピオンとして母国アメリカに凱旋した彼は、ある時、白人専用と書いたレストランに入ろうとした。

しかし入口に立ったボーイから「ここは黒人が入るところではない」と露骨に入場を拒否された。

 

「なんだって、俺は母国のために戦い、金メダルを取ってきた男だよ」

「そんなのは関係ないです」

彼は怒って「こんな欺瞞・差別は許せない」と、金メダルを川に投げ捨ててしまったという。・・・このエピソードが「自伝」に書かれています。

 

彼は、名前まで変えて世界チャンピオンになり、世界最強のボクサーになりました。

 

そして後日、ベトナム戦争の「兵士になることを拒絶」したために、ボクサーとしての生命を閉ざされてしまいました。

 

その彼が,ボロボロの肉体で、アトランタオリンピックの「聖火台」に向かっていく姿に、世界中が「感動」しましたね。

 

彼は、偽善・欺瞞・差別に立ち向かい、アンガ―を生命をもって「昇華させる生き方」を貫いて、この世を去っていったのです。

 

これがオリンピックにつながる「その後の人生」を大切にしようという意味です。

 

一筋縄ではいかないのが人生です。

如何に闘ったかと同時に「いかに生きたか」が問われる時が来るのです。必ず!!

 

(4)「アンガ―の時代」をいかに生きるか

オリンピックが、純粋にスポーツの祭典である時代は、すでに終わっています。

 

ヒトラーがベルリンオリンピックを「国威掲揚・国家の宣伝」に利用して以来、最近は、企業利益を追及する「宣伝の場」にもなり、国家がらみのドーピングまで問題になっています。

 

次代を担う若者として、こうしたことを冷静に受け止めることが重要です。

 

いまや「社会はリキッド化(液状化)した個人」の集合体になろうとしています。

それを根っこのマグマにして「不安・恐怖・悩み・苦しみ・孤独」が人々の心を病ませていると考えていいでしょう。

 

その点、個人の能力を最優先とするオリンピックで、日本の「陸上の400Mリレー」で見たような「連携」つまり「和」が勝利を導く事例を観ることができたのは、素晴らしいことでした。

 

こうした「和」「絆」の大切さを、日本は「日本文化」として、もっともっと世界に発信して行くべきだと思います。

若いみなさんが意識することです。

 

戦争で利益を得る人々は、その意図を巧妙に隠しながら、「挑発」を繰り返すでしょう。

民主主義を追っていくと、「自律したOnly One」に通じます。

 

「アンガ―の時代」に生きる知恵は、アンガ―マネジメントの「テクニック」で乗り切れるレベルのものではありません。

 

地球規模のアンガー・国家間のトラブルアンガー・人間関係のもつれから来るアンガーについて、リオ・オリンピックをきっかけにして、しっかり考えたいですね。