なぜ、学校の5日制は、はじまったのか? ~Message~

なぜ、公立学校が5日制になったのか。

 

それは、生徒のためだったのか。大人の都合だったのか。

多くの私立学校は、5日制に変更せず、6日制を堅持した。その理由はなぜか。

 

「ゆとり教育」は、どうした背景から始まったのか。

 

最近、公立学校も6日制にもどろうとしているが、それはなぜか。

 

多くの人が言っていることとは、少し異なる「私の視点」から書いてみよう。

 

 

「ゆとり教育世代」と「それ以降の世代」

多くの会社では、「ゆとり教育世代」と「それ以降の世代」が中心になる時代になった。

 

自分たちが、どのような背景の時代に育ったのかを、客観的にみる眼を持つことが必要だ。

 

そこで、私が体験した30年~40年前をメモしてみよう。

 

この際、自分の「世代の特徴」を考えてみることも重要だと思うからである。

 

「ゆとり教育」は偶然に始まったわけではない。

 

これは文教政策であり、国家が決定した政策だったからである。

 

当然、それまでの「詰め込み教育」への反省があった。

暗記は得意であるが、考えたり、工夫したりすることができない教育への反省がベースにあった。

 

しかし現実は「経済政策」の一環だった。

 

最近の教育政策が財務省・経産省・文科省のリードの下に推進されていること同じである。

だから、国家の政策の下で、授業時間を極端に減らしたり、「新教育観」のもとで「総合的学習の時間」が設定されたりした。

 

「自由」に考えたり、発表したりすることを重視する教育が推進された。

 

間違いではないが問題が多すぎた。

授業時間を減らし、教科書が極端に薄くなり、演習問題が激減した。

生徒は、よく発表するが、書いたり、まとめたり、実験したり、観察してレポートを書く基本的学習が希薄になった。

 

一挙に学校間・校内の「学力格差」が拡大した。

教師の指導力が低下した。

「ゆとり」から「ゆるみ」教育へ移行するに時間がかからなかった。

 

 

働き過ぎの日本人!? ~学校が5日制になった背景と影響~

同時に、公立学校は5日制になった。

 

時間を持て余した生徒の受け皿作りが、急務になった。

 

あちこちにテーマパークができた。

レジャー施設も、あちこちにできた。

 

極端に言えば、学校の時間・空間に遊びスペースが拡大した。

 

学力不足を恐れる保護者は、積極的に学習塾や予備校に子どもを通わせた。

「学びに向かう姿勢」が問題になった。

「非行」と「登校拒否」と「学力格差」がマスコミをにぎわした。

30年~40年前を思い出すと、こんな大まかなスケッチができる。

 

しかし、すべては「貿易摩擦の解消」のために取った政策が原因だった。

 

「ゆとり教育」は、経済優先政策の表面的な面にすぎなかった。

 

いま中国人の「爆買」が話題になっているが、この現象は、30年~40年前の日本だった。

 

日本の企業は、欧米諸国に集中豪雨のように輸出をして、あちらこちらで摩擦をひき起こしていた。

 

欧米人は「バカンスで休んでいる間も働いている日本人」を非難した。

真夜中も電気をつけて働いている日本人は「ジャパニーズビジネスマン」と揶揄され、嫌われ、排斥されていた。

 

「アリとキリギリス」の逸話が流行した。

 

日本人は「アンフェアだ」と非難されながら、団体・集団で、世界中に出かけていって物品を買いあさった。

「ノーキョウさん」が有名になった。

パリなど主要都市の街角に、日本語の看板が立ち、日本語を話す店員が増えた。

 

 

労働時間を減らすことが貿易摩擦を解消する!?

1987年4月に出された「新・前川リポート」は、そうした貿易摩擦を解消するための政策転換を述べたものだった。

 

その中で「我が国の製造業の年間労働時間は2100時間台であり、フランス・西ドイツの1600時間台、アメリカ・イギリスの1900時間台を大きく上回っている。

 

政策目標として、2000年に向けて、アメリカ・イギリスの水準を下回る1800時間程度を目指す必要がある」と述べていた。

 

具体的な施策としては、「完全週5日制の実施、有給休暇の完全消化」などである。

 

13年間に労働時間を300時間減らす。

2か月以上の休日を作る。

しかも、経済活動を止めないことが条件である。

 

そこで、公官庁や銀行など、基幹産業を強引にストップさせた。

国内産業を活性化させるために「内需拡大」が叫ばれ、「レジャー産業」を支援する態勢ができた。

 

テーマパークが全国にできた。

日本人を「アリ」から「キリギリス」に変身させる政策である。

休日は、一挙に増えた。

 

今年は2016年である。

30年前、私はこの施策のど真ん中にいた。

 

 

そして、影響は子どもたちにも・・・

これが「ゆとり教育」の背景である。

 

どんなに公・官庁などを休ませても、子供が学校に通っているのでは「レジャー支出を創出」することはできない。

 

公立学校は、文科省と教育委員会の指導のもとで「週5日制に移行」した。

 

しかし、私立学校は5日制を回避した。

 

学力格差の是正は民間に任された。

学習塾に通う生徒が増えたのは、このころからである。

スポーツと芸能活動も盛んになった。

 

2003年。

「ゆとり教育」は見直しされ、「生きる力」「確かな学力」が強調されるようになった。

 

そして今、2020年に向けて学習指導要領が改訂されることが決定している。

 

さて、これから30年後は、どのようになっているか。

 

みなさんはどのような観点で、「いま現在」を振り返るだろうか。

 

教育を囲む環境は、今後も激変を続けるだろう。