人間を手段として用いず、常に目的として扱え

「あの人は、カネ儲けのために、私を手段に使った」

 

「自分が目立つために、あたしは利用されて不愉快だった」

 

そんな体験をした人が沢山いると思います。

 

逆に「私の希望をしっかり聞いてくれてありがたかった」

 

「あの人は、私を目的として丁寧に扱ってくれた」という声もあります。

 

LEADESTは「ひとり一人の生徒を目的として扱い、しっかり相談に乗り、決して、生徒を手段として扱わないという理想にこだわる」というので、私は前川代表を支援をしています。

 

私は、長い人生で、うんざりするほど利益優先の仕事を見てきましたから、最後は、理想を追いたいのです。

 

実は、標題は「思いつき」ではなく「思想」なのです。

 

いつ、いかなる時も、自分も他人も「手段」として扱うことなく、「目的」として扱いなさい。これは、哲学者カントの言葉なのです。

 

現代人に必要なカントの哲学

振り返ってみると、私達は随分横柄な態度で他人に接し、人間関係を粗雑にしていますね。

 

自分の利益だけを考えて、知人も友人も「踏み台」にしている行為が目立ちますね。

 

最近、マスコミをにぎわしている「ハゲッ~~~!」と叫んだ国会議員は、著名な高校で公民(倫理)の授業を受けたはずです。多分、成績表についている「数字」は見事だったでしょうね。

 

きっと、カントの『実践理性批判』をドイツ語の原書で読むくらいの学力があったでしょう。学力に自信があると発言しているのですから。が、カント哲学の一番大切なところを学習していませんね。

 

できなかったのでしょう。

 

今度の事件は「教育課題の問題点」として、末永く記憶されることでしょう。

 

私は、「成果主義」が人間の心を殺伐としたものにしていると考えています。

 

企業では、よい仕事をやっても、誰かに「ごくろうさま」といわれる前に、横から分捕っていってしまう風潮があります。

 

せっかく、努力して積みあげた成果も、関係のない上司が横取りしていってしまう。

大学の研究者であっても、論文の盗作とか、実験のコピーがまかり通っている。

 

これは、イギリスの産業革命発展期の「利益優先」を横目で見て、プロイセンのカントが市民社会の人間のあり方を考えたことに通じるものがあると思います。

 

 

カントの精神に立ち返り、人格を大切にする

さて毎日、私の自宅の前を障害を持った子供たちが施設に行くために通ります。

その横にサポーターが必ずついています。

中には、脳に障害を持った子供が「わけもわからないこと」を、吠えるように喋りながら通り過ぎて行きます。

その横で、サポーターはいつもニコニコと相手をしながらついていきます。

このサポーターは、決して嫌な顔をしないのですね。

いつでも、どこでも、障害を持った子供に寄り添っているのです。

 

子供の「人格」を尊重しているのですね。

 

「人格そのものを目的として尊重する」ということは、人を「かけがえのない存在」として尊重し、モノ扱いしないということだと、私は考えています。

 

それは、人間を何かの欲を満たすために、他の人格を「道具や手段として扱わない」ということでもあります。これが市民社会の倫理であり思想です。

 

カントの言葉を借りれば「何時の人格においても、あらゆる他者の人格においても、人間性を単なる手段としてではなく、つねに同時に目的として扱うように行為せよ」ということになります。

 

これは、どんな人も「理性的な存在」であることを前提とし、その故に、その存在自体が尊重されるということです。

 

国家でいえば、自国の繁栄のみを目的として、他国を手段として使ってよいかという問題になりますね。企業でいえば利潤追求を急ぐあまり、社員の生活をどこまで犠牲にして良いかという問題になりますね。

 

私たちの日常生活では、知人や友人の関係も、目的と手段を間違えてはならないということになりますね。

 

悲しいけれど、現実の社会は、自国中心主義・自己本位がまかり通っています。

 

大きな立場でいえば、世界政治の覇権主義・核兵器の問題、日本の政治でいえば毎日のようにマスコミが取り上げている政治・社会・スポーツ・芸能界のスキャンダルの問題。

目や耳を覆いたくなる話題ばかりが先行します。

 

だから、カントの理想主義を「甘ちょろい」と思う人が多いと思います。

 

観念的で「絵に描いたモチ」のようなものだ。

現実にそぐわないと思った人がいるでしょう。

しかしそれは、大きな錯覚であり、誤解です。

 

カントはヨーロッパ社会の30年にわたる戦争、ポーランド分割・ロシアのクリミアの併合の激動などを通して、「このままじゃいけない」と、この結論に至ったのです。

 

「手段」として使われた人間の、悲惨さ、辛さ、苦しさの果てに見つけたのが、いつでも、どこでも「人格」を大切に扱うことが結論だったのです。

 

静かな哲学者の「闘いの宣言」と受け止めてもいいでしょう。

 

理想とは、現実から遊離した「夢を見ること」と同じではありません。

 

苦しみながら、闘いながら、必死になって、一つずつ実現していくものです。

 

カントは『永久平和のために』という著作を通して、世界的な平和機構を作ることを提言しました。

 

これが「国際連盟」の出発点です。

 

彼の明確な主張に対して、プロイセン(ドイツ)政府は発言を撤回するように圧力をかけましたが、彼は毅然として受け付けませんでした。

 

そして、80歳で枯れるように亡くなりました。

 

「哲学者カントは甘い人ではない」のです。

 

そして、LEADESTは、新しい教室の発展を通して、より逞しく「創業の理想」を実現する時が来ています。

 

学校外教育の充実を通してしか「新テスト」対応ができないからです。

 

それ以前に、今秋から、大学受験のマーク式の大変更が始まるでしょう。

 

学校で「指導法」が確立できないうちに・・・。

「手段」に使われる生徒は自己防衛するしかありません。

 

いま、私たちは混乱の中にいます。

改めてカントの精神に立ち戻る時です。