日本人の「ウチ」と「ソト」の意識と偏差値から絶対評価への変化

私達は、意識しなくても、ホンネとかタテマエとかという言葉を使っていますね。

 

これは「ウチ・ウチのはなしだが・・・」とか

「あの人はソトの人だから・・・」とか

「タニンにはわからないことけど、ナカマウチではよくわかる・・・」とか

「タテマエで言っているけど、ホンネは・・・」とか

 

これは、日本人独特の人間関係をしめす言葉であって、世界からみると特殊です。

多くのことで「集団」が優先され「個人」の行動が2次的に扱われていた伝統です。

SNSの時代が来ても、未熟な個人主義がはびこって、精神土壌は変わりませんね。

 

受験で使われる「偏差値」も、集団(ウチ)のなかの位置づけで使われていますね。

 

日本の「和」の意識はどこから来たのか?

日本という国は、長い間、「自分たちの国の中で」どのような位置であるかを競い合ってきました。

たえず「集団」を優先して、「個」は排斥する傾向がありました。

「ウチ」を大切にして「ソト」からの侵入を拒否する。

その間に「セケン(世間)」をおいていましたから、よく「世間から冷たい目で見られますよ」「世間体(セケンティ)が悪い」という言葉が使われますね。いまも。

 

そして、一番深いところに「ミウチ」「ナカマウチ」があって、一番外に「タニン」「ヨソのヒト」を置く社会ができたのです。

みなさんも「他所事(ヨソゴト)」「他人行儀(タニンギョウギ)「他人扱い」「他人づきあい」などという言葉を使ったことがありますね。だから「世間の評判」が気になり、ネットでも「いじめ」という事件が起るのです。

ナカマからタニンになるからですね。

 

学校の最小集団として「部活動」をしていますね。

「みんないっしょで・・・」という姿勢は、団結心を呼び起こし、相乗効果を生み出す。

チームプレーで良いような効果を生み出すことがありますね。

非行でマイナスの働きをする時もありますが、勉強では、同じ部活の人が、集団で同じ塾に通うということもあります。

 

個別指導塾のように「勉強は個人」で、通塾は「みんなで」という流れです。

 

本音と建て前が偏差値と関係する理由とは?

 

タテマエを大切にし、ホンネは隠すということも、同じ土壌で生まれた精神風土です。

欧米のヒトは「自分の主張」を真っ向から戦わせることで、生き残りをかけて来ました。

異人種が混在する社会に住んでいるからです。

 

日本人は狭い土地で、稲作水田農耕社会で同質を最上とする社会で暮らしていたから、タテマエとホンネを上手に使い分けるという精神風土ができたのだと思います。

だから「和」が大切にされ、和を壊すような「個人」は嫌われたのです。

 

ムラ社会では、信頼関係が、一回転すると「甘える」・「甘えられる」関係が成立しますが、一端、信頼関係が欠如すると、非行や「引きこもり」が生まれるのですね。

 

入試のマークテストは「ウチ」の実力を相対的に計るのに適しています。

個人をグループ内の位置に置き換えて「評価」するのですから、1点きざみで比較するのに適しているのです。

 

だから、東京都の公立中学で理科を教えていた桑田昭三先生が考え出した「偏差値」が瞬く間に全国に広がったのですね。

 

桑田先生は、生徒の進路指導をしている中で、「相対評価」という考え方を、統計学の「ケトレーの法則」から導き出したのです。つまり、集団の中で「この生徒は、平均的な学力と比べて、どれくらい優れているか、劣っているかを示す」という評価方法です。ケトレーの法則は「身長に比べて、体重は・・・」という話で馴染みがありますね。これも統計学の話ですが、案外身近なところに学問があるのです。

 

しかし、2020 年から行われる「共通テスト」では、偏差値と異なる「絶対評価」が指標として採用されます。

だから混乱する危険性があるのです。

つまり「記述式」とか「スピーキング」は、相対評価ではなく「絶対評価」だからです。

 

「ナンバーワンにならなくていい、特別なオンリーワン」という唄が流行したことがありましたね。

いまのところ、無理矢理に記述式は「段階値」で評価し、マーク式の採点とバランスを取ることになっていますが、そもそも異なる「指標」ですから交じり合うか疑問です。

 

ともあれ、LEADESTの塾生は、講師の指導の下で「記述式に慣れて」ください。

公立の中学・高校では、指導しきれないからです。絶対に「格差」が生まれます。

 

中学も高校も,「先生たちがどうすればいいか分かっちゃいない」からです。

そうした指導も教育を受けていませんから、先生方も大変です。

 

グローバル化の中で、日本の教育は、いま根本から見直しが要求されています。

異なる伝統・文化・歴史・宗教を持つ人たちと「共生」する時代がきたからです。

この波は、大きくなっても、小さくなることはないでしょう。

 

日本で生まれた外国籍の子供たち、「ソト」からきた学生たちの学力を大学入試でどのように評価・判定するか。

現在のような特別扱いはできなくなるでしょう。

 

すでに、地域よっては、50名以上のべトナム・ペルー・ブラジル・中国から来た人が高校に通学しています。

対応を間違えれば、トラブルが生まれ混乱するでしょう。

 

ミウチ・タニンという「日本人独特」の人間関係は、今後大きく変化していくでしょうが、人間の意識をかえることは大変難しいことですね。