「教育勅語」「象徴天皇」VS「社会契約」の考え方

「ご契約くださいましてありがとうございます」

 

という言葉が使われることが多いですね。

 

分かりやすく、言葉を入れ替えてみると、

 

「入学式」は学校と個人の契約成立の行事です。

 

「卒業式」は契約終了の式です。

 

しかし、日本人は「契約思想」に慣れていませんから、入学式や卒業式を「情緒的」に「儀式」としてのみ捉え、契約とは関係がないと思いがちです。

 

「オレオレ詐欺」も契約についての理解不足によるトラブルの例ですから、今回は、「日本固有の思想」と「契約思想」を対比してみることにしましょう。

 

古来の日本は「契約によって成立した国家」ではない

日本は、古来「契約によって成立した国家」ではありません。

 

『古事記』・『日本書記』にあるように、神様が創造された島に、その子孫が降臨されて「国づくり」をしたと考えます。

 

「天孫降臨」ですね。

その末裔である天皇が日本国を治めるのは当然だという考えが、ナショナリズムと繋がって根強くありますから、教科書の記述などで「今なお」議論が起こるのです。

 

この考えによれば、起源から「この国のかたち」を考えると、表現が難しいけれど、この国は、天皇家の私有財産ということになります。

 

「建国記念の日」とか「神風」「宮廷祭祀」「三種の神器」とかの議論や意味の根拠ですね。

神話というより、これは私たちの日常の考え方・行動様式と深く繋がっていますからしっかり理解しておきましょう。

 

だから、独立した個人と個人の「契約」によって国家が成立した、という西欧的な考えとは根本から「対立」します。

 

しかし、現行の日本国憲法は「社会契約説」にそって成立していますから、「王権神授説」に近い明治憲法とは根本が異なります。賛・否ではありません。

 

ここが、最近の政治の争点になっていますから、大学入試でも問われる「重要な裏テーマ」なのです。この機会に、政府が検討に入ろうとしている憲法改正に伴う「国民投票法」についても学習しておきましょう。

 

戦前から終戦までの日本

最近「教育勅語」が語られることが多いですが、「勅」とは、天皇が臣下に下す命令という意味です。

 

だから、戦前の日本国の教育の柱は、この勅を文言にした「教育勅語」にありました。

 

実際の文案・起草者は井上毅氏らですが、天皇が勅語として発したものですから、影響力が大きかったです。

 

ついでに言えば、「臣」とは<家来>ということです。

 

大きな家来のことを「大臣」というのです。

その総まとめをするのが「総理大臣」で家来の第一人者という意味です。

権力の中枢を握る立場の人という意味です。

 

聖徳太子が「和をもって貴しとなす」という施政方針を示しましたね。

 

この国の者は、「お互いに譲り合い、助け合いの精神を大切にしよう」という基本方針です。

だから、江戸幕府においても、朝廷は別の存在で「権力をお借りして政治を行う」という姿勢を取りました。

だから、明治になるにあたって「大政奉還」という政治ルール上の修正が必要だったのです。

明治からは天皇に主権があり、「教育勅語」を始め、全ての政治は天皇の直轄下で遂行されてたのです。

 

「神風」の論理が、第二次大戦まで続きました。

 

戦後の日本の成り立ち

 

そして終戦。

 

昭和天皇は「現人神」から「人間宣言」を行いました。

 

「私は神様ではない」という宣言です。

 

これはどうしても必要な宣言でした。

それから「天皇は権力から離れた『象徴』である」という立ち位置にかわりました。

 

新しくできた憲法は、西欧的な「契約国家」の思想で作られているからです。

 

例えば、同じ封建制度といっても、日本と西欧とは違います。

「封土」を貸与するということでは共通していますが、西洋では、領主(個人)と領民(個人)は基本的に「対等」で、お互いの意志と契約に沿って保護したり、保護されたりするのです。

 

つまり「双務的な関係」なのです。

日本では「一部分お借りします」という姿勢です。

 

天皇に主権があるからです。

しかし主権が国民に移り、憲法の前文に「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によって・・・」とあるように、日本の政治は社会契約の思想に転換したのです。

 

近年、『象徴』から『元首』に代えようという動きがあります。

 

だから、この違いをしっかり理解していてください。

 

日本では「和」をもってお互いに気を遣い(情)、しきたりなどの礼儀(義理)を大切しますね。

 

西洋では「自分のことは自分でやる」という文化です。

つまり個人と個人が「自己責任」で契約を取り交わし、契約したことを実行するのです。

 

そこでは、義理とか人情よりも、契約によるドライな関係が優先されます。

歴史的に見ても、西欧は多民族が同居する世界です。

 

「義理・人情」が入り込む余地は少ないのです。

だから争い事や乾きった人間関係を補うものは「宗教」です。

 

普遍的な倫理はキリスト教の「隣人愛」です。

<自分を愛するように他の人を愛しなさい>の精神です。

ここから、J・Sミルの「ボランティア」・「利他」の精神が生まれるのです。

 

日本の「和」とは根本が違います。

 

 

契約思想から捉える大学入試

さて「オレオレ詐欺」がいつまでも途絶えませんね。

 

困ったことです。

契約社会では「だました者」より「だまされた者」が悪いのです。

自己責任ですからね。

 

どのような巧妙な手立てでも、だまされない人は、いつだって騙されないのです。

商取引は、10円のものを100円で売ってもいいし、80円で売買契約を結んでもいいのです。

 

だから,騙されやすいのは、「契約に疎い高齢者」が多いですね。

契約すること、「サインする意味」も、わざと「小さく書いてある留意事項」を理解できない人が騙されるのです。

 

気がつかない人が悪いのです。

「あの人を信用したから・・・」では済まされないのですね。

「甘え」は許されないのです。

 

また、大学受験でいえば、AO入試は「こんな学生を求めています」という大学側のメッセージです。

 

志望者は「私はあなたの大学に適した人材ですよ」というメッセージを大学に送り、入学許可という「契約」を結ぶのですね。

 

AO入試は、大学との契約を成立させるためのテストですから、面接や小論文が大切にされるのです。

 

「志望理由書」は、契約を成立させるためのものです。

 

LEADESTのHPを見てわかりますが、「合格者の声」にあるように準備の仕方がありますから、しっかり指導を受けて下さい。

 

ノウハウがあるのです。

 

目的にそってしっかり書かなければ「契約の成立=合格」ができません。契約手続きの一種です。

 

「教育勅語」と「契約思想」の間に、大きな齟齬がありますね。

 

天皇の「象徴」にいろいろな意見があるのも背景があるからですね。

 

契約については、雇用関係やビジネスでは「当り前のこと」になっていますが、秋風と共に「改憲」論議が激しくなると予想しますので、入試対策で知識や背景の理解を深め、自分の思考力・判断力を強化しましょう。

 

私たちは「時代の子」です。

 

避けることができない「運命」・「激変の嵐」を引き受けて、しっかりと逞しく生きることにしましょう。