進路選択はシルクロード

進路選択は人生のシルクロードである。

 

受験は道程の1つにすぎない。

シルクロードは、始めからあったわけじゃない

 

遠いところに、交易に適した物産があるという話が伝わって

儲け話と夢と野心をもって、砂漠を歩き、草原を走り、岩屋を寝床にして

挫折と苦難と憧れをもって歩いた人が作った道である。

 

「道しるべ」は、先に行った人の残骸。時には、白骨化した人骨、名も知らぬ先達の遺品だった。

 

受験では、自分の夢の実現、野心と憧れと読み替えてみると分かりやすい。

 

過去の実績・蓄積されたデータ・環境の変化に応じた対応力である。

 

シルクロードの名前の由来とは

私が初めてウルムチに行ったのは、厳寒の2月だった。マイナス摂氏20度に街は冷たく凍てついていた。

「寒い!」なんてものじゃない。

こんな環境でも、人間は生活しているのだと思うと不思議だった。

しかし、慣れるということは凄いことだ。

次第に寒いと感じられなくなっていった。

ここは、シルクロードの中心都市の1つであり、新疆ウイグル地区の中心都市である。

 

『シルクロード』

 

なんともロマンティックな名前を付けたものだ。

 

19世紀にドイツのリヒトホーヘンが名付けた「絹の道」が最初である。

この道はロマンどころか、人間の欲望が交差する道であった。

物流の最大の商品が「絹」だったからこの名前を付けたのであって、生死を賭けてなお余りある利益が期待できる道であった。

 

しかし、現在のウイグル地区の暴動を見ると、「オイルロード」と変えるのが正しいかもしれない。

 

「さまよえる湖」を求めて

私はスエーデンの探検家ヘデェンの「さまよえる湖」を読んで、このロプノール湖に行ってみようと思った。

彼は、古い記録に従ってタクラマカン砂漠の中で湖を探す旅に出た。

 

19世紀末のことである。

 

古い地図上に描かれていたところに湖はなかった。

湖があったと記されているところは、どこも砂漠だった。

これは私たちが、人生で「さまよえる湖」を探すことに似ている。

 

では、どこに消えてしまったのか。

 

私はヘディンがロプノール湖を探す冒険譚にワクワクした。

 

大きな湖はどこに消えてしまったのか!

目的としたロプノール湖全体が、他の地域に移動してしまうなんて、そんな理屈に合わないことはない。

「絶対にあるはずだ!」

そして調査を続けたところ「さまよえる湖」は砂漠の中を転々と移動していることがわかった。

なんと不思議なロマンではないか。

私は、完全に魅せられてしまった。

 

楼蘭は、ロプノールの湖畔に栄えたシルクロードの中継都市であった。

この都市が栄え、衰亡して行く物語を背景にして、井上靖さんが「楼蘭」という小説を書いた。イメージ豊かなドラマティックな物語である。

 

私は、ウルムチの博物館に行けば、ここで発見された「楼蘭の美女」に逢えると聞いていたので旅に出たのである。

美女といっても3800年前のミイラである。

実物は想像していた美少女ではなかったが、イメージを膨らめるには充分だった。

楼蘭は確かにここに存在していた都市なのだ。

 

玄奘三蔵のシルクロードの旅

玄奘三蔵が、630年にシルクロードを出発したのが「高昌」である。

いまもトルファンの東に<高昌古城>という遺跡がある。

 

古城の中央に大通りがあって、東西に分かれている。

公官庁エリアと、50あったという寺院のエリアである。

寺は学問をするところであり、大学のようなものである。

 

土塀が干からびてカサカサになった古代遺跡を一人で歩いていると、何やらザワメキが聞こえてきた。言葉は分からないが確かに人間の声である。

振り返ると、風がスーツと通り抜けていっただけであった。

冬の砂塵の中に人影はなかった。

 

私が聞いたのは何だったのか?

 

敦煌の莫高窟が有名になるきっかけになったのは、次のエピソードによる。

 

「ある時、貧しい道士(道教を修行する人)が、小さな洞窟でタバコを吸っていた。

すると、煙が洞窟の小さな壁の隙間に吸い込まれて行く。

不思議に思って道士が壁を叩いてみると、壁が崩れて大量の巻物が出てきた。

何者かが、何かの理由で、壁の中に大量の書物・巻物を隠しておいていたのだ。」

 

ここが「莫高17窟」と呼ばれるものである。

文書の価値がわからない無知・無学な道士や地方官をしり目に、イギリスのスタインやフランスのペリオら探検家が数千点の文書や絵画を二束三文で買いこんで母国に持ち帰った。

 

これが「敦煌学」と呼ばれるもののスタートである。

 

莫高窟では、西夏のブルーと天女が美しい。頭上を悩ましく舞っている。

私の部屋に、土産物店で買ってきたシルクロードの「天女」を壁に飾っている。

この模造品だけでも艶めかしく美しい。

 

ところで、いま日本には「中央ユーラシアの歴史」を研究する学者が極端に不足している。

 

このままでは「日本の高いレベルの西域学」が維持できない。滅んでしまう。

興味のある人は、大学で専攻してほしい。

 

大学受験で必要なもの

私たちの人生は、自分の「湖」を探して旅をしているようなものである。

 

しかもそれは「さまよえる湖」なのである。

 

地図はない。

 

人生は膜然とした砂漠のようなものである。

私自身の旅もまだ終わっていない。

シルクロードは、その過程で出来ていく道である。

 

大学受験も、長い人生では「1つの湖」にすぎない。

出願校を決めたら、その目的に向かって全力で努力する。

湖に到達したい欲求が強い人がヘディンになる。

 

勿論、偶然や運もある。大切なことは諦めないこと。

 

執念である。

 

しかし、受験でもSerendipity を大切にしたい。

それが「強さ」になる。

 

 

クラマカン砂漠・新疆省地域の地下資源をめぐって、現在、中国政府とウイグル族の争いが絶えない。

 

シルクロードは、現在も「欲望が交錯する場」であることに変わりない。

 

 

まさに、オイルロードである。