「令和」という元号にはどんな背景があるの?
新しい元号が「令和」と発表されましたね。
新しい天皇が即位される5月1日から執行されることになっていますが、若い皆さんの代はこの元号が使われますから「平成・令和」の世代になりますね。
日本人は「昭和世代」・「平成時代」とまとめて表現することがあるので、この機会に「元号」にかかわる知識をまとめてみましょう。
日本の最初の元号「大化」とは
日本で初めての元号は「大化」です。
皆さんは「大化の改新」で勉強しましたね。
なぜこの元号が選ばれたのかわかりません。
しかし、歴史を見ると思い切り近代国家に切り替えようとした意志を見てとれます。
当時のモデルは「唐」です。
国際的な国家である唐は、律・令で整備された組織で運営され、長安を都とする官僚国家でした。
「律」とは、刑法です。
「令」とは、行政法などで整備された合理的な運営組織です。
遣唐使や留学生として、レベルの高い唐の制度(律令制度)に触れてきた人々は、土着的な権力が勢力を持っている日本を、「近代国家」に変えようとしました。
そこで中大兄皇子と中臣鎌足が中心になってクーデターを起こすのですね。
これが「大化の改新」(645年)です。
皇子が「天智天皇」になり、仕掛け人の鎌足の一族が「藤原氏」になるのですね。
伊藤さん・斎藤さん・近藤さんなど「藤」という苗字を持っている人は、この藤原氏の一族だといっていますね。知っていましたか?
権力者になりましたからね。
ここで初めて「大化」という元号が日本の歴史に登場します。
天智天皇の弟の「天武天皇」(686年)が即位すると、一気に国家体制が整います。
ここで、「古」い「事」をまとめて「記」録にします。「古事記」(712年)です。
文字がないから漢字を当てて表現しましたから読みにくいです。
「万葉仮名」です。
続いて「日本書記」(720年)が編纂されますが、国家統一の目的をもって編纂されたものです。
古事記とダブって記録されていることが多いです。
その後、約40年後、天皇から庶民に至る人の和歌約4500首が編集されます。
これが「万葉集」(759年)です。やっぱり読みにくいですよ。当て字ですからね。
この時に漢文で書かれた序文の中なら、今回の「令和」が採られたのですね。
ここは、絶対に復習しておいてください。
今年の高校・大学入試に関係しますからね。
「仮名文字」と「真名文字」の違いとは
当て字(万葉仮名)が、読みにくいので、漢字の一部を取ったり、省略したりして「仮名文字」が生まれました。
平安時代になってからですから、ずっと後になってからです。
これは素晴らしい日本人の発明です。
だから、正式な文字は漢字で「真名文字」というのですね。
「真名文字」と「仮名文字」の違いです。漢文を習う人の入口です。
世界に誇る「源氏物語」は仮名文字で書かれています。
仮名文字の発明で、日本固有の文化が発展しましたから、今回の元号の選定でも「かな文字」にしようという意見があったそうですね。
「平成」という元号は、司馬遷の『史記』・『書経』の中から採られたようですね。
史記の<内平天成>・書経の<地平天成>は「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味ですね。
史記や書経については、別の機会に触れることにしますが、元号の「出典の根拠=典拠」があることは記憶しておきましょう。
大伴旅人という高級官僚がいました。
彼が九州の「大宰府」に赴任していた頃、地域の著名人を集めて宴会をしました。
730年・2月で梅の花が咲き匂う日だったようです。
ここに集まってきた32人に「今日は一人1首ずつ詩をつくろう」といいました。
そこでつくられた歌が「万葉集」に収録されました。
その序文の中に「初春令月、気淑風和」があるのです。
どんな意味かといえば「初春のこの良い月に、気は良く風はやわらか」ということです。
春の訪れを喜び、みんなが和やかに歌を詠んで楽しむ。
採り出した漢字だけに着目すれば、「和しむべし」「みんなで仲良くしましょう」という意味にもなりますね。
当時の教養人・貴族は中国の『文選』を教科書にしていましたから、当然、和歌の中に影響がみられますね。
張衡という人の「帰田賦」という作品に同じような文章がみられますが、基礎教養とは、そうした他国の優れたところを積極的に取り入れることでもあります。
世界的に活躍している現代のデザイナーも、日本の伝統・文化を基底に置いている人が多いですね。
こうした重なりこそ大切にしたい文化です。
世界的には「西暦」が使われているから「元号はいらない」という意見があります。
二重構造になっても、多くの日本人は、これからも元号を使い続けるでしょう。
私は「昭和」⇒「平成」⇒「令和」の3世代を生きることになりますが、これは日本文化の一つとして受け入れています。
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